本好きオンライン寺子屋塾 Written by シゲカズ・F

私達の心はどこにあるのか

SPIRITUAL

身の回りで起きていることすべてが自分の内面の反映だとしたら

最近の日常生活の中で特に強く感じることがある。

サービス業の末端に従事するようになってずいぶん長い時がたった。

そんな毎日の仕事の中で普段のルーティーン的作業労働をしているとき、
経験的に科学的に証明はできないかもしれないけどあることに気がついた。

単に単純労働的な作業というか、今していることが手慣れているので、
落ち着いてリラックスした中で行動しているとき、フッと何の拍子かで
これは一体どういうことなのかなと小さな疑問が生まれたとする。

これを伏線と呼んでおく。こういう場合は注意すべきことをして
対応しておけば何も起きないだろう。

ただし気に留めて何もしなかった場合、誰かの目について横槍的に
ミスとして報告され知らないうちにその話が大きくなって大問題だと
騒がれたという経験がある方は少なからずもいるだろう。

それが意外にもほぼ同じ人間から発信されてくるなんてことが多い。
そもそもこのタイプの人間は、本人自身が問題を抱えているにもかかわらず、
それ自体気づいてない上に故意に他人にトラブルを投げている。

このタイプの人が職場に複数いるなんてケースはよくあり、赤の他人ながら
この人達がわざと連携をとっているかのごとく、まとまってからんで来る
ケースも多々ある。

たとえばこんなことが最近あった。
職場にクレーマー系の人がいる。そしてヒステリー系の上司もいる。

この上司とは本来関係は良かったのだが、最近あることをきっかけに少し距離をおいたほうがいいと感じたので、少しあっさりとした態度で応じるようになった。

その日はあることを処理する上でなんだろうこれ?という事があった。
本当に些細な物だったが、問題はそのクレーマー系の目に入って、
それを当然のごとく直接上司に報告。心理的に距離を置くようになった上司とは
この日偶然に何度となく顔を会わせていた。何となくも本能的にこちらの態度が
冷たくなったと察知していたようで、当然良い印象を持ってはいない。
結果、自分の所属していた所の班長に大きなケアレスミスとして
注意が飛んできた。

結局サービス業の末端に所属しているので、小さな波風でもつまらない小言を聞かされるのは普通かもしれない。上司は常に周りを見る注意が必要と言うかもしれない。が、実は本当に私が思うことはそうではない。

仕事として末端にいるため、つまらないとばっちりを受けるのだと納得することはできる。経済的にそういう場所に依存して生活しなければ、嫌な思いをすることはずいぶん減ると確信している。

これについて解決法はあるのだろうか

スピリチュアル的に言ってみると、ここに住んでいる私達は、日々の瞬間に色々なことに思いを巡らす。

フッとこれは何かなと感じる瞬間がある。それが別のものと結びついて形を変えてこちらへ知らせようとしているかのごとく絡みついてくる。

私達の心がどこにあると今ここで聞かれれば躊躇なくこちらの世界とあちらの世界の中間と断言する。

たしかに私達の体はここに在り、この体の目を使って周りを見ているのだが、
例えば夢を見ていて先程まで現実だと思っていた所が夢の世界だと気がついてその時になって、あぁあれは夢だったなんてことはよくあることだろう。

しかしこれだけ親密に私達の思いと世界の現象がリンクしているならば、私達の心が中間層にあるならば、これを利用しない手はないと思う。

知らないとは怖いものでそれほど大きな影響を与えることができるのに全く素通りしてしまっているのだ。

真実は地味に見えるが本質を司っているのはそういう感じだ。